豊橋市の概要
豊橋市は、愛知県の南東部に位置し、東は静岡県と接し、西は三河湾、南に太平洋を臨んでいます。江戸時代には東海道の宿場町、吉田城の城下町として栄えました。世界屈指の自動車輸出入港「三河港」の一部である豊橋港を中心として臨海工業地帯を形成しています。市内には路面電車が走り、個性的で魅力ある商店街づくりや「国際自動車特区」の認定を受けるなど、地域活性化に注力しています。
豊橋のあゆみ
市域では、約10万年前のものと考えられる人骨(牛川人骨)が発見されており、この頃は、石を割って作った槍形や斧形などの打製石器を使って動物を捕ったり、木を切ったりして暮らしていました。
古代の豊橋地方は三河国に属し、市域南部には渥美郡が、市域北部には八名郡が置かれていました。市内には渥美郡の豪族の館跡・氏寺と思われる、市道遺跡・市道廃寺が見つかっています。
戦国時代には多くの山城が築かれ、今川氏の家臣、牧野古白は近世吉田城の前身である今橋城を豊川に面した丘に築きました。その後、名称は吉田城に改められます。1564年、松平(徳川)家康が吉田城を攻略し、小原鎮実を追い、家臣酒井忠次を城主に置きました。しかし豊臣秀吉が天下を取ると、家康は関東に移封され、池田輝政が城主として、城地の拡張や城下町の整備を行いました。
江戸時代になると、現在の市街地の元となる吉田宿と、東海道のもう一つの宿場町・二川宿が置かれました。城下町では、山田宗偏によって茶の湯が広がり、また吉田藩の藩校「時習館」が開かれました。さらに国学が発展して羽田野敬雄らを輩出したほか、民俗学の祖として知られる菅江真澄もこの時代に生まれました。
明治に入ってすぐ、「吉田」の町は「豊橋」に改称されました。その後に豊橋県となり、さらに合併をして明治5年には愛知県に合併されました。そして1889年に豊橋町が、さらに1906年、市制施行により豊橋市が誕生しました。東海道線の開通に伴って、豊橋駅が開かれ、殖産興業策の一環として第八国立銀行が設立されたほか、教育面では県立第四中学校(現在の県立時習館高校)が開設されるなど、豊橋は着実に近代化への道を歩んでいきました。また豊橋には、歩兵第十八聯隊などの軍隊をもつ軍都や養蚕業による蚕都としての一面もありました。
1945年6月20日、米軍の空襲を受けた市街地は焼け野原となりましたが、戦後、市街地の戦災復興は計画的に行われ、豊橋市は商業・工業・住宅地域がはっきりと分けられた近代都市として生まれ変わりました。その後、経済発展のための大工場の誘致や、現在では国内有数の国際港となった豊橋港の開港を経て、現在は人口約37万人を超える、東三河地方の中心地として発展しています。
豊橋の名前の由来
市域に流れる豊川にかかる「豊橋」という橋が由来とされています。
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| 豊橋の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓ |
豊橋市美術博物館 |
| 住所: |
〒440-0801
愛知県豊橋市今橋町3-1 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0532-51-2882 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日(企画展開催中の月曜日が祝日の場合は開館し、翌日の火曜日が休館となります)、および年末年始(12月29日〜1月3日) |
| 入館料: |
一般ギャラリー・常設展は無料。企画展については催しごとにそれぞれ異なります。 |
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